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2013-06-02 Sunday 23:55

elena5c

国東時間ニュースリリース
http://blog.d-torso.jp/release/2013/06/post-a070.html

国際展示会と海外販路開拓

2013年5月。ニューヨークのジャビッツセンターで開催されたICFF(International Contemporary Furniture Fair)2013に出展するため、1週間ほどマンハッタンに滞在していた。

今年で3回目の出展となるICFF、毎年JETRO(日本貿易振興機構)の支援を受けてJETROジャパンパビリオン内に出展しているのだが、そもそものきっかけは2011年頃ビッグサイトで行われていた東京ギフトショーに出展していたときのことである。JETROの浜野部長から声を掛けていただき、出展のお誘いを受けたのだ。その年の2月のことだった。

それから程なくして3月11日、東北の大震災があり、福島第一原発のメルトダウンが起こる。日本の国内経済がこれからどうなっていくのか、先行きが全く見えなかった。そんな状況下で、かねてからd-torso事業の課題の一つであった海外販路を再構築しようと出展を決めたのであった。

d-torso事業の海外取引は2002年頃から始めているから、もう足掛け10年になろうか。2002年といえば僕がまだ一人で働いていた時代だ。武蔵町のお醤油屋さんの倉庫を借りて、そこにレーザーの機械を一台据え、設計・製造・梱包・発送・営業すべてを独りでこなしていた。

そんなとき、国内の展示会で出会ったフランスのディストリビューターから欧州での海外取引の声が掛かった。ユーロ圏を中心とした輸出が始まり、2005年には初の国際展示会、EUROSHOP2005に出展した。初出展からおおきな反響で、つづく2008年(ドイツのデュッセルドルフで3年に一度開催されるディスプレイ関連の最大の国際展示会)も連続出展、順調とは言えないまでも徐々にヨーロッパの販路が広がりつつあった。

だが、軌道に乗りつつあるタイミングで、リーマンショックが起きた。煽りを受けたフランスのディストリビューターは倒産を余儀なくされた。
ヨーロッパにとり残されたそれまでの取引先の中には、直接卸しで継続するところもあったが、現地に在庫を持たないビジネスというのは、やはり商品のデリバリー&決済に不安がある。人の顔が見えないビジネスは、IT全盛の現代においてなお継続が難しいのだ。

丁度その頃、国内ではディズニーとのライセンス契約が持ち上がり、ビジネスの主流はふたたび国内市場へとシフトしていった。

ヨーロッパとアメリカの展示会(市場)の大きな違いは、まずスピード感だろう。NYでは初出展のときから商談が成立し、この最初の展示会がきっかけでマウンテンビューのGoogleの新社屋にd-torsoを納めることが出来た。

Googleに設置した全長2.5Mのd-torso 木製ヘラジカモデル
Googleに設置した全長2.5Mのd-torso 木製ヘラジカモデル

翌年のICFF2012ではニューヨークの高級デパート、Saks Fifth Avenueと商談が始まり、3ヶ月後の8月ギフトフェアで渡米した際にプレゼン、そうして10ヶ月の準備期間を経て、2013年2月のNYファッションウィークのディスプレイ用に12フィートの巨大マネキンをはじめとするd-torso series 各種を納めた。

Saks Fifth Avenue

今年に入ってからは、北米で170店舗以上の小売店をもつ、大手生活雑貨販売チェーンのCrate&Barrelとの契約も成立し、現在初回出荷の準備中だ。初回3000個のテスト販売で実績を得れば、これまでで最大の海外取引に発展するだろう。

まだまだ、決して成功したとはいえないまでも、いま北米市場で着実に実績をあげつつある現在の成果は「チーム力」によるところがとても大きい。

10年に及ぶ海外販売の経験のなかで、僕たちはほんとうに多くの失敗を繰り返してきた。2度や3度の失敗ではない、同じ間違いを何度も繰り返したこともある。そんななかで資金力に乏しい、アキ工作社のような田舎の小さい会社が海外販路開拓を諦めないのは、ひとえに展示会にきてくれるお客さんのd-torsoに対するこの上なく強力な反応があるからだ。

海外でのこの反響は、NYで始まったことではない。国内やヨーロッパ時代から経験していることだ。展示会のたびに身に余る賛辞を浴び、いい気分になって、相当な期待感とともに帰国する。
けれどもその反響がそのままビジネスに繋がるかというと、決してそんなことはない。商習慣の違いや、デリバリー、決済の問題、そして日常のコミュニケーションすべてが解決しないと1円も動かないということをこの10年で学んできた。

そういう意味で、いま北米で一緒に仕事をしている販売チームは最強で最良のチームだと思っている。d-torso北米エージェントの三浦さんをはじめとする代理店メンバーや、展示会のたびに現場のセールスを手伝ってくれるホイットニー(ブースガール社長)、またJETRO NY のスタッフやJETRO本部の面々が、みな一つの方向を向いて日本のプロダクトを世界に売ろうとしている。感動すら覚える光景だ。

国内の状況も同様で、この事業は地元地銀やベンチャーキャピタルの協力がなければ到底継続不可能なプロジェクトだ。改めて、協力に感謝したい。アキ工作社だけでなく、中小企業の海外進出は日本の経済にとっても死活問題であるが、その危機感を同じくする多くの企業が、それぞれの地方からこのジャパンパビリオンに集結している。
僕たちにとって、彼らは隣人であり同志でもある。願わくば来年もNYで、同じ場所で、JETROジャパンパビリオンでお会いしたいものだ。

国東の時間と市場の時間

田舎に暮らすということ、田舎で仕事を創るということ。アキ工作社のテーマはずっとそこにある。1995年に初めてのd-torsoプロトタイプを作って以来、僕としては世間に流されるままにここまで来たという感がとても強い。だが、 d-torsoというプロダクトを介してこれまでに繋がってきた人のネットワークが、会社にとっても僕自身にとっても、本当の意味の資産になっている。

現在の社員はもとより、d-torsoに関連する社外のネットワーク、行政、金融、協力製造業、大学、国内外の流通、販売店、メディア、個人顧客が、d-torsoという一つのプロダクトを介して繋がっている。これら一つ一つは、あくまで名前を持った個人の集合なのだが、d-torsoと繋がっているのは個人という単位ではない。本当は個人を構成する幾層ものレイヤー、共通する志向のなかの一つなのだ。

それぞれの人の中にd-torsoに共振するレイヤーがあり、ビジネスに繋がるときは、また別の要因、別のレイヤーに接続する必要があるということだ。僕はこの事業のはじまりから、そのことを大事にしてきた。グループの属性の利害、目的とタイミングが一致すればビジネスとして動き出す。ビジネスだけではなくていろんな方向に動く。アキ工作社が現在、国東の廃校舎を拠点として活動することになったのも、そんなリアクションのひとつだろう。

d-torsoが接続するレイヤーが、つまりは僕たちの仕事の空間ということになる。国東もニューヨークも東京もパリも、そういう意味ではひとつながりの空間だ。

一方で僕自身ずっと違和感を感じてきたことがある。それは市場で流れる時間と制作の現場、国東で流れる時間のスピード・質の違いである。1日は24時間、1年は365日、これは世界共通なことだ。しかし、時間の質、流れ方はその土地固有のものである。同じような対応をしていては歪みが生じるのだ。以前から無意識に感じていたことだろうが、今回のNY&東京出張ではそのことを改めて強く感じた。「そろそろ行動を起こす時期にきているのかもしれない」と。

そこで僕たちはd-torsoの仕事に「国東時間(くにさきじかん)」を導入することにした。簡単に言えば、会社を週休三日制にするということだ。会社に出てくるのは週のうち連続4日間、祝日がある週は調整して出勤日4日を確保する。休みの日は山歩きをしたり、釣りに行ったり、サイクリングしたり、読書をしたり、音楽を聴いたりすればいい。とにかく国東の(土地固有の)時間を社員の個々が取り込んでくれればいい。それが個人のスキルアップにつながり、会社の事業効率をあげることになる、という考え方だ。

こんなことを言うと、よほど余裕のある仕事をしているのだろうと思われるかもしれないが、実際はまったく逆なのだ。
仕事は増える一方で、そのせいで仕事の精度が落ちた時期もある。今年は売上げ的にも苦しい一年だった。引き合いは常に増加しているのに売上げと収益が伸びないというのは、どこかに歪みがあるからだ。であるからこそ、今のタイミングで国東時間の導入を実行することにしたのだ(念のためつけ加えると、労働日を短縮したからといって、その分賃金をカットするというわけではない)。

先週の会議で「国東時間」の導入を社員に諮った。少しは異論が出てくるかと思いきや、肯定的な意見ばかりですんなり可決。さっそく来週から実験的に導入されることになった。
やるべき仕事はこれまでと同じ、むしろ増える傾向にあるのだが、おそらくうまくやっていくだろう。来週から金曜日が休みになる、これだけで社員もワクワクしているようだし、僕自身も嬉しい。なにより、これから忙しくなるというこの時期に「国東時間」を思いついた自分に感動している。

マルクス曰く、「自由の王国の根本条件は労働日の短縮だ」そうである。はたして自由の王国への第一歩になるか。