d-torso blog

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Kunisaki

2013-03-03 Sunday 00:00

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日常

毎朝、起きるとまずMacの蓋を開け、メールをチェックするところから一日がはじまる。最近は北米の市場も動いているので、寝ているあいだも何かと事案がもちあがる。その他の急ぎの用件も処理しながら朝食を摂って、朝入浴し、ようやく出勤だ。昨年の4月から僕は一人暮らし、いや愛犬のタマと二人暮らしで、妻子は別府に棲み、週末だけ帰ってくる。

当然のことながら、目覚めたときから一日が始まり、目を瞑ると一日が終わる。国東(くにさき)に帰ってきてから12年になろうとしているが、このあたりまえの感覚はいまも新鮮だ。「おだやかな田舎暮らし」というイメージからはほど遠いが、わるくない生活だと自分でも思っている。

8年前に本社として建てて、いまは自宅となっているアトリエは半島の東、海に臨んだ場所にあり、現在の会社は半島の中心、両子(ふたご)山の中腹にある今は廃校になった小学校だ。毎日、海から山へ、山から海へ、往復する毎日だ。

上の写真は国東半島の地形図、半島の中心である両子山から放射状に広がったいく筋もの尾根と谷、こうして鳥瞰してみるとよくわかる、かなり特異な地形だ。半島を切取ったこの絵をずっと見ているとヒトの頭のようにも見えてくる。東の海岸は鼻、口、顎、咽首とつながり、北半分の放射状の部分が脳だ。そう見ると数々の山筋がニューロンネットワークのようにも見えてきて、ちょっと生々しい。さしずめダイダラボッチの首というところだろうか。

と、こんなふうに国東半島はさまざまな人がそれぞれの思いを土地に重ねて、おびただしい数の伝説、逸話が存在している(……そうだ)。邪馬台国伝説は当然のようにあるし、果ては、失われた聖櫃(The Lost Ark)が国東半島にあった、という説まで突如飛び出してくる。ここまでくると、もう何でもありという気もするが、それだけこの土地が人々のある種のセンサーを震わせる何かをもっているということだろう。

国東半島アートプロジェクト

一昨年前からこの国東半島を舞台にして、「国東半島アートプロジェクト」が進行中だ。これは大分県、国東市、豊後高田市、ツーリズムおおいたなどで構成された「国東半島芸術祭協議会」が主催するプロジェクトで、BEPPU PROJECTの山出淳也氏が総合ディレクターをつとめる。

昨年の秋は飴屋法水氏などによる国東半島アートバスツアー「いりくちでくち」が開催され、僕の家族も参加した。12時間に及ぶバスツアーの体験はツアー中よりも、むしろそれが終わってから今に至るまでの時間の経過のなかで、体験の記憶がじわじわと身体にしみ込むような不思議な感覚をもたらし、それは今も継続中だ。

僕らとは別便で、同じようにアートバスに参加した会社の同僚は「自分が生きているのか、死んでいるのか、分からなくなった」と感想を語った。おそらくは、この作品をつくった作家の意図にダイレクトに反応した言葉だろう。今年僕はこのバスツアーに前後して、岩倉社の「ケベス祭」や岩戸寺の「修正鬼会」など、地元の祭りにも足を運んでいる。そんなわけでこのところ、僕の日常のなかで「異界」をかいま見る頻度がとても上がっているのだ。

現代美術も伝統的宗教も、もともと異界と繋がるインターフェイスの機能を持っている。一概に異界というといささか乱暴だが、要は日常からこぼれた日常ならざる時間や空間だと考えればいい。あるいは、常日頃に顕在化していると鬱陶しく、やっかいな事象だが、人が人らしく生きる為にはどうしても必要なものたちだ。

国東半島の鬼やケベスは異界を代表するアイコンのひとつであり(……そう考えると飴屋氏の顔も鬼のように見えてくる、同じような意味で異人なのだ)、こまったことに彼らは絶滅危惧種である。ここ国東に限らず、日常のなかに折りこまれた日常ならざる時間や空間との遭遇は、人の生活空間そのものを豊かにしてくれる、それは間違いないことだろう。逆に、いま見えている生活だけが世界だとしたらこんなにつまらないことはないのだけれど、現代社会はいまなお狭いほうへ、狭いほうへと向かおうとしている……

上の写真は岩戸寺の修正鬼会の写真
上の写真は岩戸寺の修正鬼会の写真

ほんとうにタイトなスケジュールのなかで、次々と完成度の高いプログラムを送りだしてくる山出さんの手腕には脱帽するばかりだが、その山出さんがこのアートプロジェクトの当初に国東半島に連れてきたのが、写真家の石川直樹氏と都市社会学者の山田創平氏の二人だ。(石川さん山田さんのプロフィールはリンクからたどってもらうとして……)この先、アートプロジェクトを通じていろいろなプログラムが提出されるだろうが、僕が一番期待し、また楽しみにしているのは彼ら二人の国東半島での仕事とその成果だ。

この一年以上、石川さんは国東に入って写真を撮り続けている。世界中の極地を旅している石川さんの身体的な感受性を通して、この国東の地勢がどう見えてくるのか。また同じ時期から国東に入って、膨大な量のテキストを読み込んでいる山田さんは、古代から現代にいたる堆積された時間を読み解いて、どのようなテキストの地図をつくっていくのか。先月、旧香々地町役場で行われた連続トークのなかで山田さんの中間レポートが発表された、今後の展開にますます期待が高まる。(山田創平氏の23年度のレポートはオフィシャルサイトからダウンロードできます)

さて、来週3月9日は豊後高田市の長崎鼻でアートプロジェクト春期のメインイベントのオープニングが開催される。オノ・ヨーコの「見えないベンチ」とチェ・ジョンファのランドスケープ作品のお披露目だ。当日は「石川直樹と歩く長崎鼻」も開催されるのだが、幸運なことに僕は抽選で当たり、参加する予定。体力に不安はあるものの、世界の頂上を踏破した石川直樹と一緒にハイキングできる機会なんて、この先100%無いだろうから、とっても楽しみにしている。